鎌倉に始まり横須賀に続くBUSHIDO文化の物語

三浦半島の神社仏閣

和田義盛流、鮮烈な人生の閉じ方!「天養院」

和田義盛の最期と痕跡をご紹介!

与太
与太

こんにちは!今回は三浦市初声にある天養院さんをご紹介しますね。

こちらは車で行こうとすれば三浦縦貫道からほど近いお寺さんだね。電車で向かうとなると…三崎口が最寄りになるだろうか。まさに和田義盛の和田の地だね。

熊さん
熊さん
三浦の家紋が入口に刻まれた本堂
与太
与太

立派な本堂ですな!天養院はどんなお寺ですかい?

1559年、五劫山天養院宝泉寺と号する鎌倉光明寺の末寺として、性誉上人の開山、長澤和泉の開基として創建されたとされています。安置されている薬師如来像は、もとは和田義盛が館の鬼門を守護するために建立した安楽寺に祀られていたそうですね。この薬師如来は正式には薬師瑠璃光如来といわれ、和田義盛の護持仏で行基の作だと伝えられています。1943年、安楽寺が廃寺となるのに伴い天養院に移されたそうです。

熊さん
熊さん
身代わり薬師。
与太
与太

ほぉ。傷の入ったお薬師さんですかい。傷が生々しい。

和田義盛、和田合戦で傷を受けたがなぜか痛みがなかったという。そこで帰ってみるとお薬師さんの体の自分の傷と同じところに傷があったそうです。そこで、「あぁ、お薬師さんがわかりに痛みを除いて下すったんだ」と感謝された。

熊さん
熊さん
与太
与太

それはそれは驚かれた事でしょうな!

和田義盛の位牌と像
与太
与太

こちらはまたかわいらしい像と立派なお位牌で。

こちらは1213年につくられた和田義盛の位牌と、和田義盛の像ですね。和田義盛の戒名が記される貴重なものです。本堂のお薬師さんの前に安置されています。

熊さん
熊さん
本堂はいつでもお参りできるので、合掌。
与太
与太

ん?なにやらお厨子の左っ方にかわいい仏像がございませんか。

気付きましたかな。こちらは、清雲寺の当初の本尊で、鎌倉時代前期の運慶工房において製作された可能性が高いとされているものです。子供のような写実的な面貌、腰を絞った動きのある姿態に特色があるが、当初の華麗な彩色が残るのも価値があるとされます。頭部の兜が別材製で脱着でき、足元は裸足だが、これも当初は別材製の沓を履いていたとみられるようです。1213年の和田合戦の折、矢を受けたり、拾ったりして和田義盛を助けたというのもその生身性から生まれたものなんでしょう。伝承を参考にするなら、本像は晩年の和田義盛周辺で発願され、運慶工房にその製作が依頼された可能性があるんです。

熊さん
熊さん
与太
与太

これはこれは。ここにも運慶の足跡が残されていたんですね!

三浦半島にはまだまだ伝運慶作が伝わり、その多くが解明されていないのです。この清雲寺仏像は有力な慶派の作だとされていますよ。

熊さん
熊さん
与太
与太

義明さんもそうですがね。三浦の人ってのは、先祖様を大事にされたんですね。出なければ今までお墓が残ってるなんて信じらんないことでさぁ。

武士の世において、先祖や一族ってのはとても大切な存在でしたね。皆さんあっての自分。こういう円の中の点であるという考え方は、現代にも大切なことかもしれませんね。そういった思いがこの清雲寺さんにはしっかりと残っていますよ。

熊さん
熊さん
与太
与太

おお!先祖様あっての自分。それは間違いねぇや!なんだか清雲寺さんに参拝したくなったよ。参拝はどうしたらいいんだ?

清雲寺さんの公式WEBサイトはhttps://seiunji.jp/だね。
予約サイトはこちらにあるので、ぜひご利用ください。

熊さん
熊さん

寺名:天養院(てんよういん)
宗派:浄土宗
開山:1559年(永禄2年)、長沢和泉の開基
寺宝:木造薬師如来及び両脇侍立像(神奈川県指定重要文化財)
住所:〒238-0114 神奈川県三浦市初声町1669
宝物館拝観:詳細はこちらからhttps://manshoji.com/?page_id=388

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