和田義盛七阿弥陀堂の謎はここで解き明かされる!長坂にある無量寺をご紹介!
こんにちは!今回は横須賀市にある無量寺さんをご紹介しますね。
こちらは浄楽寺さんからほど近い無量寺さんですじゃ。以前は茅葺屋根の山門がそびえたっていたが、今は瓦の立派なものに変わっているのぉ。境内も綺麗にされていて気持ちがいいのぉ。
立派な山門ですね!無量寺はどんなお寺ですか?
1189年、和田義盛の開基とされているが創建当時の宗派は不明じゃ。1338年、元から来日し鎌倉・浄智寺にいた臨済宗の高僧・竺仙梵僊を招請し禅宗寺院「無量寿寺」となったそうじゃな。そういった経緯で、現在は浄土宗じゃが、臨済宗にとっても大切な寺とされている。天正年間に浄土宗の寺院として厳譽壽道上人があらためて開山したそうじゃ。
お寺は一つの宗派で続くとは限らないのですね。
そうじゃな。そのお寺を守る大旦那が、どんな宗派を選ぶかということもあるし、無住になった寺に新しい住職が来るときにもその住職の宗派に変わることもある。古くは宗派は学派として発展してきたこともあるから、宗派替えというのは特に珍しいことでもなかったんじゃ。
無量寺さんは和田義盛の七阿弥陀堂伝説を証明したと聞きました!
三浦一族の和田義盛は運慶に造像を依頼し、三浦半島に七阿弥陀堂を建立したという伝説があるのじゃが、無量寺もそのひとつとされていることじゃな。実は、無量寺本尊の中から「和田義盛七阿弥陀堂の当寺には和田義盛の発願による運慶作の阿弥陀如来が建立されていたが、480年後の1669年に焼失した」と書かれた木札が発見されているのじゃ。これは非常に貴重な発見である。
焼失してしまったのですね…それでも現在の本尊様もとても素晴らしいお姿ですね!
そうじゃな。この焼失から再建しようと奔走したのが第六世曠譽南慶上人で、それを助けたのが安土桃山時代の武将・間宮信高だったそうじゃ。近隣の村落はもとより久里浜や佐島あたりまで協力を訴えたところ、数百名の住人による資金が集まったと。1685年、ついに阿弥陀仏の再興造像が成ったのじゃ。仏師は運慶の流れを組む鎌倉扇谷大仏師・後藤勘弥。勘弥は17世紀なかばから18世紀初頭にかけて鎌倉を中心に活躍した後藤派の重鎮とされる。素晴らしい仏像なのも納得じゃな。
たくさんの方の尽力があったのですね。有難や。
仏像一つにしても、それはそれは大金がかかるものじゃ。それは今も昔も変わらぬ。この地域の信仰の中心として、守られてきたのじゃ。
思わず手を合わせてしまいます。そういえば、和尚さま!無量寺さんでもAR歴史マンガが見れるようになったそうですよ!
おおそかぁ。毎度毎度お参りの方にご説明いただくわけにもいかんからの。それはありがたいことじゃな。どこから見れるのかの?
この看板が境内の入り口にありまして、その隣に二つ並んでいます。その二つの看板から英語・フランス語・スペイン語・中国語・韓国語でAR歴史マンガが見れるようです。
そうかそうか。それでは早速、田中ひろみさんのかわいいらしいコマ漫画を楽しみにお参りに行こうかの。
無量寺さんの公式WEBサイトはこちらです。和尚さま!おいて行かないで下さーい…
寺名:無量寺(むりょうじ)
宗派:浄土宗
開山:1189年(不明)
寺宝:仏師・後藤勘弥作阿弥陀三尊像
住所:横須賀市長坂4-21-18
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