六波羅最高責任者の北条重時の謎はここで解き明かされる!鎌倉極楽寺をご紹介!
こんにちは!今回は鎌倉の極楽寺さんをご紹介しますね。
こちらは北条重時の菩提寺ですな!国指定史跡とされている境内も美しいのぉ。
地名にもなっている極楽寺さん!どんなお寺ですか?
極楽寺さんは鎌倉唯一の真言律宗の寺ですじゃ。建立したのは、北条義時の三男の重時。重時は、執権を補佐する連署まで務めた人じゃが、政冶に執着することなく出家し、その山荘に寺院建立を思い立った。正元元年(1259)に造営を始めたが、造営半ばの弘長元年(1261)に重時は亡くなったという。その子の長時と業時が父の志を継いで極楽寺さんが完成したようじゃ。
重時が生きているときには完成がなせなかったということですか。それでもその子供たちが遺志を受け継ぐとは、重時の人望がうかがえますね。
そうじゃな。重時は六波羅探題北方の3代目で、泰時の嫡子でもある時氏が病となったため後継となった。その頃、まだ都の治安は乱れていたが、重時が探題に就任することで大きく改善され、都における重時の信頼は格段に上がったようじゃ。仏教にも篤信で法然の教えを大切にされていたようじゃ。
極楽寺さんには僧侶忍性もかかわっているのですか?
忍性(1217~1303)は律宗(真言律宗)の僧で、通称を「良観房」という。貧民やハンセン病患者など民衆の救済に尽力したことで知られているのぉ。叡尊を師として、真言密教・戒律受持・聖徳太子信仰を学んだ。病者に薬を施す施薬院、病者を治療する療病院、年老いた者を収容する悲田院などの建設には励み、教学の研鑽よりも民衆救済に力を注いだ、と師の叡尊から評されていたようじゃ。1261年、鎌倉に拠点を移してからはその拠点を極楽寺に定め、87歳に往生されるまで、救済活動に加え、架橋、道路整備など種々の社会事業にも取り組んだのじゃ。その菩提寺としても極楽寺さんは有名じゃな。
昔のお坊さんはなんでも行ったのですね!
そうじゃな。中国から伝えられてくる最先端の学問は僧侶を中心に広がることが多い。それも仏教での交流がその知識を日本に運んだ側面もあるからなのじゃ。そういった知恵を活用して社会事業に取り組むお坊さんというのは少なくはなかった。
極楽寺さんでは鎌倉十三仏巡りも行われていますよね。
十三仏とは、故人が亡くなられてから、初七日~七七日忌、百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌の13回の忌日をつかさどる仏さまじゃ。この忌日にそれぞれの仏さまに審判が行われ、故人の行き先が決まるという。じゃから、何度もその仏さまにお参りして、先立たれた愛する方のご冥福を祈るものじゃ。極楽寺さんは12番札所として大日如来をお祀りされておる。
真心のお参りですね。そういえば、和尚さま!極楽寺さんでもAR歴史マンガが見れるようになったそうですよ!
そうかそうか。極楽寺さんにもAR歴史マンガが見れるのか。これはまた楽しみが増えるのぉ。どこから見れるのかの?
どうやら覚園寺さんは入り口と境内の途中に配置されているようですね。
うむ。それでは早速、コマ漫画を楽しみにお参りに行こうかの。
文化財の御開帳の時期はいつなのだろう…あ、見つけた。宝物館は4月25日から5月25日と10月25日から11月25日の火・木・土・日曜のみ開館(雨天休館)。志納金は…300円ですか。今日は見れそうにないなぁ。時期を見てまたお参りさせていただこう。
あ!和尚さま!おいて行かないで下さーい!
寺名:極楽寺(ごくらくじ)
宗派:真言律宗
開山:不明
寺宝:十大弟子立像、釈迦如来立像、釈迦如来坐像、不動明王坐像、忍性塔
住所:神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7
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