三浦一族三代の墓所、衣笠にある清雲寺をご紹介!
こんにちは!今回は横須賀市にある清雲寺さんをご紹介しますね。
こちらは満昌寺さんより徒歩5分の高台にあるお寺さんだね。少しわかりづらいところにあるけど竹林に囲まれた境内は神秘的な空間だね。
立派な山門ですな!満昌寺はどんなお寺ですかい?
清雲寺は、1104年に三浦義継が父・為継の供養のため建立したお寺です。本堂背後の墓地には、為継の五輪塔を中心に為通、義継の五輪塔が並べられています。為通は三浦氏の祖で、1063年に源頼義より三浦の地を与えられ三浦を名乗り、衣笠城を築きました。二代為継は、源義家に従い後三年の役で戦いました。三代義継は、源義朝に仕え、大庭御厨の侵攻では、子の三浦大介義明とともに義朝に加担しました。この三代の墓所として重要なお寺ですね。
ほぉ。こちらが墓地ですかい。立派なものですね。これが古いもんですと?
鎌倉時代の当時から境内には為継の墓とされる五輪塔や、圓通寺から移された多数の五輪塔や板碑なども安置されていますね。近くに義明の眠る満昌寺があるけど、やはり、古くからこの衣笠が三浦の本拠地だったということを表していますね。
こちらはまた変わったお姿の仏さまですねぇ。
現在、滝見観音と呼称されている像で、中国南宋で造られ、入宋僧や日宋貿易を担った商人らによって日本に伝わり、三浦の地には13世紀頃にもたらされたと考えられています。江戸時代には末寺円通寺(廃絶)の本尊として祀られていましたが、清雲寺に移されて現在に至るといいます。首をかしげ、面長で口角をやや上げ微笑する表情は、生身の人間のような印象を受けますね。瞳にはガラス玉を嵌める点が珍しい。岩座に坐り左足をのばし右足を立て、左手を岩座に置き、右膝に手を添える特徴的な姿は遊戯坐(ゆげざ)とも呼ばれ、日本の仏像とは異なる異国風の雰囲気があります。今や中国にも存在しない宋時代の貴重な仏像です。現在は国の重要文化財に指定されています。
ん?なにやらお厨子の左っ方にかわいい仏像がございませんか。
気付きましたかな。こちらは、清雲寺の当初の本尊で、鎌倉時代前期の運慶工房において製作された可能性が高いとされているものです。子供のような写実的な面貌、腰を絞った動きのある姿態に特色があるが、当初の華麗な彩色が残るのも価値があるとされます。頭部の兜が別材製で脱着でき、足元は裸足だが、これも当初は別材製の沓を履いていたとみられるようです。1213年の和田合戦の折、矢を受けたり、拾ったりして和田義盛を助けたというのもその生身性から生まれたものなんでしょう。伝承を参考にするなら、本像は晩年の和田義盛周辺で発願され、運慶工房にその製作が依頼された可能性があるんです。
これはこれは。ここにも運慶の足跡が残されていたんですね!
三浦半島にはまだまだ伝運慶作が伝わり、その多くが解明されていないのです。この清雲寺仏像は有力な慶派の作だとされていますよ。
義明さんもそうですがね。三浦の人ってのは、先祖様を大事にされたんですね。出なければ今までお墓が残ってるなんて信じらんないことでさぁ。
武士の世において、先祖や一族ってのはとても大切な存在でしたね。皆さんあっての自分。こういう円の中の点であるという考え方は、現代にも大切なことかもしれませんね。そういった思いがこの清雲寺さんにはしっかりと残っていますよ。
おお!先祖様あっての自分。それは間違いねぇや!なんだか清雲寺さんに参拝したくなったよ。参拝はどうしたらいいんだ?
清雲寺さんの公式WEBサイトはhttps://seiunji.jp/だね。
予約サイトはこちらにあるので、ぜひご利用ください。
寺名:清雲寺(せいうんじ)
宗派:臨済宗円覚寺派
開山:1104年
寺宝:木造観音菩薩坐像(国指定重要文化財)
住所:横須賀市大矢部5-9-20
宝物館拝観:詳細はこちらからhttps://manshoji.com/?page_id=388
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